南米植物文化研究ノート

南米の植物にまつわるあれこれ。個人的な研究の記録です。

ハキダメギク、コゴメギク、またの名をグアスカ

ハキダメギク Galinsoga quadriradiata キク科コゴメギク属 帰化植物 

コゴメギク Galinsoga parviflora キク科コゴメギク属 帰化植物

 まぎらわしいふたつの植物

 2017年発行の新分類牧野植物図鑑を見ていたら面白いことがわかりました。ハキダメギクの図は載っていないのです… そのかわりコゴメギクという植物の図が載っており、旧版でハキダメギクの図として掲載されたが、これは誤りである。と追記されていました。図鑑を作るほどのプロでも見分けにくいもの、素人にはなおさらです。(予防線)もちろん見分け方は書かれていて、コゴメギクにくらべハキダメギクの方が葉の鋸歯が荒く、舌状花の鱗片がより多く大きいそうです。もう少し専門的なことは、こちらの農研機構のサイト畜産草地研究所:写真で見る外来雑草:コゴメギク | 農研機構 (affrc.go.jp)を参照なさってください。

 

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 これはハキダメギクか?

 牧野博士の著書で調べてみると

 昭和31年刊の牧野富太郎博士の『植物一家言』には次のように書かれています。

 

コゴメギク

コゴメギクは、小米菊の意で、その花白色で、小形なるゆえに、こう呼ばれる。一にハキダメギクと呼ばれるが、それはよく塵あくたを棄てる、掃き溜の辺に生えるからである。この草は、一の帰化雑草で、それは、北米の原産であってGarinsoga parviflora Cavanilles(この種名は小形花の意)の学名を有する。その無舌状弁の頭状花は、きわめて小さくて、見るに足らないものである。

 

 しばしばハキダメギクの名付け親は牧野博士と紹介されるのですが、もしそうだとすると「一に~と呼ばれるが」と書かれているのはちょっとふしぎな気がいたします。また、上記の書では、牧野博士はむしろコゴメギクを和名として採用しているように見えるにもかかわらず、文中のハキダメギクのほうが有名になったのは皮肉です。しかし、もし「ハキダメギク」というインパクトの大きい名前でなかったら、ここまで人々の印象に残らなかったかもしれません。

 原産地については、ハキダメギク/コゴメギクは、図鑑により北米とするものと熱帯アメリカ原産とするものがあるようです。いまでは北米、アジア、アフリカ、英国を含むヨーロッパなど世界中に広まり、日本でも全土で見られます。*1*2 日本では雑草扱いのこの草、南米ではどのように用いられているのだろうと調べてみたところ面白いことがわかりました。

コロンビアのハーブ?  

 調査の結果、コゴメギク、ハキダメギクは、コロンビアでGuascaと呼ばれていて、ボゴタ地方のスープ、アヒアコで使われるということがわかりました。*3 日本語のレシピなどでは省略されていますが、アヒアコの風味付けに欠かせないもので、代替医療でも注目されているハーブのようです*4 カルシウム、カリウム、リン、亜鉛マグネシウムが豊富で、抗酸化力にも優れているという話です。私がいまフランス語を習っている先生のパートナー(コロンビア人)によると、お茶にして風邪のときに飲むと良いとか。(使用に際しては詳しい方と相談の上、行ってください。)

 

アヒアコの作り方の動画 


Ajiaco Santafereño o Ajiaco Bogotano

1分ごろにネギとグアスカ、コリアンダーブーケガルニを作って鍋の水に投入しています。また最後にきれいに洗ったグアスカの葉を入れています。

 

愛することは、識り、わきまえること

 この記事を書いているとき、恩師が亡くなったことを知りました。スペイン、ラテンアメリカの音楽を独学で研究し、日本に紹介したパイオニアのおひとりである濱田滋郎先生です。先生のご著書に、こうありました。

 ややこしいフォルクローレの形式名を省いて紹介しようというレコード会社の提案に対して、

音楽をやたら”学問化”せず、素直に聞いて楽しみ味わうものにしたい、という趣旨から出た言葉ならそれも結構。だが、「形式」の実体をつかみ、それを吟味することなしにフォルクローレを愛好する人が、世の中に、はたして多いのだろうか? セミ取りの子供だって、五つか六つ位のセミの種類とその名前は知っている。そして、手にしたアブラゼミやヒグラシやミンミンヤツクツクボウシから、それぞれ固有の情感を嗅ぎとるのだ(中略)チャカレーラとサンバの区別もつかずーこれは、その形式名を知らない、ということと同じではないー、漫然とフォルクローレを”楽しむ”人なら、べつに増えてほしいと私は思わない。やはりたくさんの「形式」をもつカンテ・フラメンコだって同じこと。愛することは、識り、わきまえることだ。こうした種類の「愛」なしに、ものを書き、語ってみたとてどうしようもない。*5 太字部分は原典では傍点

  と、ふだん穏やかな先生がきっぱりとした調子で書かれています。雑草と呼ばれる植物にも愛情をそそいだ牧野博士と、名もない人たちのはぐくんだ音楽を愛し、一生をささげた濱田滋郎先生の姿が私には重なります。これからも下を向いて草を見つけながら歩いていこうと思うのでした。