南米植物文化研究ノート

南米の植物にまつわるあれこれ。個人的な研究の記録です。

少し先の風景を想像してみる

 

春の風物詩ナガミヒナゲシ

 道端にかわいいオレンジ色のポピーの咲く季節となりました。ナガミヒナゲシ(Papaver dubium)*1 という花です。先日は空地いっぱいに咲き乱れているのを見かけました。この植物はヨーロッパ原産の帰化植物で、種が車のタイヤによって運ばれ、道路沿いから畑までひろがっているそうです。ナガミヒナゲシは、根から他の植物の芽生えを阻害するアレロパシー物質を出すため、農地などでは迷惑がられているそうです。*2 このように、帰化植物のなかには、しばしば雑草化して迷惑がられる存在になっているものもあるのですが、今日はそんな野生化した植物のなかでアメリカ大陸から来たものをいくつか紹介します。以前紹介した「ムラサキカタバミ」もそうでした。

 

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夕化粧 オシロイバナアカバナユウゲショウ

 まずは、オシロイバナ(Mirabilis jalapa)。『野草大図鑑』(高橋秀男監修、1990年、北隆館)によると日本では江戸時代から記録があるそうです。よく栽培され、野生化している、とのこと。学名にある"jalapa"はメキシコ、ベラクルス州にあるXalapa/Jalapa(「ハラパ」と発音)という地名から来ているようで、そういえばハラペーニョという緑色の辛い唐辛子もありましたね。(ハラペーニョは「ハラパの」という形容詞)中米から南米の熱帯地域原産で、スペイン語の名称は数えきれないほど。理由はわかりませんがDiego, Pedro, Juanなどスペイン語の男性の名前のついたもの、「ペルーのふしぎ(maravilla)」、「メキシコ・ジャスミン」など、原産地や香りに由来するだろうものなどいろいろあるようです(スペイン語Wikipedia情報)。夕方に咲くことから、「夜のドン・ディエゴ」などという名称もあります。どんなわけがあってつけられた名前でしょうか、妄想をかきたてられます(笑)。

 日本でも夕方に咲くことからユウゲショウ(夕化粧)という粋な名前がありますが、どちらかというと黒い実のなかに「おしろい」のような白い粉が入っていることからついた「オシロイバナ」のほうが知られているのではないでしょうか。子どもの頃はパラシュートを作って遊んだりしました。

 

動画や写真で遊び方を紹介しているサイト↓

45mix.net

 紛らわしいのですが、日本語でユウゲショウと呼ばれる植物がほかにもあります。オシロイバナと区別するためにアカバナユウゲショウ(Oenothera rosea)と呼んだりもするそうですが、月見草と同じアカバナ科でこれも園芸用に導入されたものが逃げ出した外来植物だそうです。*3

 

アカバナユウゲショウ  小さいけど鮮やかな色が目を引きます。

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富士山に似合うマツヨイグサ

    薄暗い夕闇の中にあかりを灯したように黄色く咲く月見草は、太宰治の『富嶽百景』や竹久夢二の作詞した歌*4で知られ、”富士山に似合う”在来種のように思われていますが、じつは日本には自生種がなく、すべてのツキミソウ属がアメリカ大陸からやってきたのだそうです。*5 チリ原産の元祖マツヨイグサ(Oenothera stricta/odorata)はこちら。アルゼンチンの植物相のサイトでは Flora Argentina(Oenothera versicolor)

 

 複数の種類がある「月見草」の和名にはツキミソウマツヨイグサが混在していてややこしいのですが、太宰が見たであろう黄色い花をつける月見草(オオマツヨイグサ Oenothera grazioviana)は明治初年頃日本にはいった園芸植物であり、「都会を中心に、その後、帰化したコマツヨイグサ(Oenothera laciniata)やメマツヨイグサ(Oenothera biennis)などに取って代わられている」*6とのことなので、もはや今ではあまり見られないかもしれません。最近では薄い白、または桃色の可憐な花をつけるヒルザキツキミソウ(Oenothera speciosa)ーこれは昼に咲くーもあちこちでみかけますが、これも米国中部~メキシコ北部原産の帰化植物です。

 

ヒルザキツキミソウが近所の道路わきに群れて咲いていました。大輪が風にそよぐ様子はとても可憐。

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 なお、夕方に開くオオマツヨイグサスズメガに受粉してもらうのだそうです。昆虫写真家の海野和男さんが、ペルーのスズメガの写真を公開されています。*7 写真だとわかりにくいですが、花の蜜を吸う長くて細い口吻が特徴です。太ったハチというか、小さなハチドリのように空中で止まって、目に見えない速さで羽ばたきながら、伸び縮みする長い口吻をつかって花の蜜を吸う昆虫です。幼虫が巨大でカラフルな芋虫なので、子どもは見つけたらきっと大はしゃぎでしょう。これから夏にかけて、近所の植え込みなどでも成虫が花の蜜を吸う姿が見られると思うので、探してみてください。

 

雑草にも流行が?

 帰化植物の生育場所が安定するには50年ぐらいかかるという説があるそうです*8。専門的なことはわかりませんが、半世紀ほど生きてきて、子どもの頃に見た”雑草”が、今とまったく同じではないという感じがします。

 最初のナガミヒナゲシの話に戻ると、環境研究所のデータベースでは、ナガミヒナゲシは土壌の種類は選ばないと書かれていますが、「コンクリートによってアルカリ性になった道端の土壌を好むとも言われている。」*9 そうです。鉄道の敷設によって全国に広がったヒメムカシヨモギ*10などのように、人間の活動の結果、あらたな植物が”侵入”するというサイクルになっているのかなと思います。

 雑草の定義としては、「諸説あるが、作物を栽培する水田や畑に勝手にはえてきて、作物の生育に害を与える一群の草。また、庭や公園などに自由にはびこり、美観を損ねる一部の草」と『ミニ雑草図鑑』(廣田伸七編著、2005年、全国農村教育協会)にありました。人間が自分の活動に合わせて定義するものということがわかります。これも以前のブログで紹介したのですが、日本では雑草扱いのハキダメギクが、コロンビアではハーブとして利用されていました。

 

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 私は、ただ草花が好きなだけの人間なので、生態系や帰化植物の扱いについて何か言えはしないのですが、これらの植物の故郷の南北アメリカは、500年ほどの間に大きく自然が変えられました。そのなかで失われていったものはどのくらい大きいのだろうと考えてしまいます。日本で起こっている変化が、それに比べてどうかはわかりませんが、どちらの場合も人間の責任は大きいはずです。だから、自然を相手に何かするときには、ちょっと立ち止まって、過去の事例を調べてみるとか、50年100年先のことを想像してみることができたら、何かが変わるのではないか? 小さくても、そのようなきっかけにでもなれば幸いと思ってこれを書いています。

*1:ナガミヒナゲシ / 国立環境研究所 侵入生物DB (nies.go.jp)

*2:農環研ニュースNo90 (affrc.go.jp)

*3:稲垣栄洋、『ワイド版 散歩が楽しくなる雑草手帳』2018年 東京書籍

*4:『宵待草』作曲は多忠亮 おおのただすけ 1917年初演、1918年出版

*5:稲垣、2018年

*6:稲垣、2018年

*7:ペルーのスズメガの仲間 - 海野和男のデジタル昆虫記 - 緑のgoo

*8:高見沢茂富『帰化植物秘話 植物文化を築いてきた外来植物たち』2010年、ほおずき書籍

*9:稲垣、2018年

*10:稲垣、2018年

フロリポンディオとチョウセンアサガオ

 

ロリポンディオ Floripondioとはどんな植物?

コダチチョウセンアサガオ(Brugmansia arborea) ,キダチチョウセンアサガオ(Brugmansia x candida)     ナス科ブルグマンシア属

 (以前はDatura属に分類されていたので、ダトゥラという名称でも知られている)

 わざと知られていないほうの名前で書きましたが、エンジェルストランペットときけばわかる方も多いはず。街角でもときどき見かける背の高い植物で、大きな下向きのラッパ型の花をつけます。

 原色世界植物大図鑑(「図鑑」は旧字。1986年 北隆館)によると、「コダチ~」のほうは、チリ、ペルーの2000~3000メートルの高所にはえる低木。高さ5~6メートル。花期は夏。そっくりのキダチ~ーB. aureaとB. versicolorを掛け合わせたものだそうーは、メキシコ、ペルー、ブラジルに分布する常緑低木。高さ3~5メートル、花は一年中(同)。16世紀のイエズス会士アコスタの記録だと花は一年中咲くとあるので、図鑑の記述と食い違うのですが、訳注ではDatura arboreaとしています。

 

 

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English: Brugmansia arborea flower. Originally published as Datura cornigera. Date 1846 Source http://www.plantgenera.org/illustration.php?id_illustration=1003&language=English Author Fitch

 

 アンデス地方が原産のこの花は、植民地時代の記録によると、あまりの美しさと香りのよさに、ペルー副王(スペイン国王の代理人)フランシスコ・デ・トレド*1が、「王室庭園にあるにふさわしい」と、当時のスペイン国王フェリペ2世への捧げものにしたそうです。*2 

天使のトランペット? それとも… 

 英語では天使のトランペットと呼ばれる、天国の夢が見られそうな美しい花ですが、じつは知る人ぞ知る有毒植物です。

 アコスタの『新大陸自然文化史』訳者の増田義郎氏のJohn M. Cooperの研究にもとづく訳注に、「その樹皮、葉、種などから一種の麻薬を作る習慣が、コロンビアのチブチャ族、中央アンデスケチュア族から、チリのマプーチェ族、ウィリチェ族までにわたって見られた」とあったので調べてみると、コロンビア、ペルー、チリなどで、先住民の人たちにとって、特別な意味を持つ植物だということがわかりました。名前もスペイン語のBorracheroのほか、 Huacacachu, Huanto, Maicoa, Toé, Tonga, Huaca, Huacachacaなどさまざまな名称があります。

 『図説快楽植物大全』という印象的なタイトルの本(原題は"Plants of the gods. Their sacred, healing and hallucinogenic powers" 神々の植物ー神聖な、癒しと幻覚の力、R.E.シュルテス、A.ホフマン、C.レッチュ著、鈴木立子訳 2007年 東洋書林)によれば、ブルグマンシアはいくつか種類があり、種子、花、葉、樹皮にアルカロイドを含んでいます。そして、リュウマチなどの病気の治療に用いられることもありますが、強い幻覚作用をもたらすことから、複数の先住民族の間で、それぞれのやり方で使用されています。ただ、後作用の不快さ、扱いの難しさなどから、限られた人びとー知識をもつシャーマンーの手にゆだねられているのだそうです。

”元祖”チョウセンアサガオ曼荼羅花(マンダラゲ) 

Datura L. ナス科チョウセンアサガオ

 ところで、日本に早々に帰化していた元祖チョウセンアサガオ*3ですが、江戸時代に世界に先駆け全身麻酔で手術を行った華岡青洲が麻酔薬として使ったことで知られています。

 また、華岡が使用したであろうチョウセンアサガオのほかにも、チョウセンアサガオ属にはヨウシュチョウセンアサガオDatura stramoniumというものがあり、これは現在のメキシコ、米国南西部が原産だそうです。荒俣宏さんの『花の王国』には、明治初期に日本に渡来したと書かれていました。原色版日本薬用植物事典には、チョウセンアサガオ(インド原産)、ヨウシュチョウセンアサガオ(熱帯アジア原産)、シロバナヨウシュチョウセンアサガオが掲載されており、学名の一致からDatura stramoniumは、この図鑑によるとシロバナ(ヨウシュ)チョウセンアサガオのようです。いずれも、今では日本に帰化し空き地、荒れ地に野性化して*4います。

薬用植物 (花の王国)

 余談ですが、この華岡青洲という人物を、お芝居や小説などで名前を知ったという方も多いのではないかと思います。小説家の有吉佐和子(1931-1984)が、麻酔薬の実験台となった華岡の母と妻の確執を描いた小説が芝居や映画などになりました。ちなみに作家自身は、すでに小説家としてデビューしたのちのニューヨーク留学中の、とあるパーティで出会った医師からこの名前を聞いたそうです。*5

 

華岡青洲の妻 (新潮文庫)

 有毒植物と昆虫

 ブルグマンシアの使用について、上であげた『快楽植物大全』には興味深いことが書かれていました。その昔(紀元前1万2千年より前と考えられている)、アジアからアメリカ大陸へ移動していった人びとが、アンデス山脈の周辺でブルグマンシアをみつけ、近縁種のダトゥラ属との類似性に気づいて、利用を始めたのではないかという考察でした。現地でもテレビなどでも、アメリカ先住民といわれる人たちの顔つきや肌の色を見ると、東~東南アジアなどに多いひとたちと似ているなあと思わずにいられないのですが、きっと人はずっと昔から移動する生き物だったのですね。

 どちらにしても、これらの植物は専門的な知識にもとづく使用では薬にもなりますが、有毒な物質を含んでいるので、見つけたとしても花、葉、茎などの汁が手や顔につかないよう、お気を付けください。そしてくれぐれも妙な気を起こされませんように。この花で作ったお茶を飲んだ青年がなくなったという例がチリで報告されています。日本語では、厚生労働省が右のような情報を提供しています。 自然毒のリスクプロファイル:高等植物:チョウセンアサガオ類2(キダチチョウセンアサガオ) (mhlw.go.jp)

 でも、こんな植物にも虫がやってくるのが自然の不思議さ。日本だとジャコウアゲハの幼虫がウマノスズクサという毒草を食べて、体内に毒を蓄積することが知られていますが、ブルグマンシアは中南米にたくさんの種類がいるツノゼミに樹液を提供しているそうです。(ツノゼミは小指のさきほどもない小さなふしぎな形をした虫です。下に写真のかわりの本を紹介しておきます。)また、花は夜間に芳香を放ってガをひきつけ、受粉を媒介してもらうのだとか*6。ほんとうに興味がつきません。それにしても副王トレド、毒草と知っていて国王に献上したのでしょうか。その点は、いつかスペインの植物学者の方にでもうかがってみたいところです。 

 

ツノゼミ ありえない虫

ものまね名人 ツノゼミ (たくさんのふしぎ傑作集)

 
 なお、ブルグマンシアのいくつかの種(D. arborea, D. aurea )は、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストに載っていて、コロンビア~ペルーのアンデス山脈沿いの地域で「野生状態で絶滅」となっています。おそらく、この地域の環境の変化によるものなのでしょう。

 

 

 

*1:1569-81在位。パナマ以南、ポルトガル領のブラジルを除く南米の広い地域が、当初のペルー副王領だった

*2:アコスタ『新大陸自然文化史』第4巻27章

*3:朝鮮とついているが、朝鮮とはなんのかかわりもないそう。「由来の知れない植物に朝鮮という修飾語をつける習慣があったことに由来」荒俣宏『花の王国 薬用植物』1990

*4:伊沢凡人著 誠文堂新光社2000(1980)

*5:有吉の小説『ぷえるとりこ日記』では、プエルトリコ人のデート相手から聞いたことになっているのですが(笑)。典拠は関川夏央『女流 林芙美子有吉佐和子

*6:E.ダウンシー、S.ラーション著 船山信次日本語版監修、柴田譲治訳『世界毒草百科図鑑』2018、原書房

マテ茶の伝説、そしてカジャリ

 マテ茶の始まりにはこのような伝説があります。

 ラテンアメリカコロンブスが足を踏み入れて、植民地化が始まってからの500年の歴史『収奪された大地 ラテンアメリカ500年』*1を書いたウルグアイのジャーナリスト、ガレアーノの著書から先住民族のお話だけを抜き出した子どもの向けの本があります。*2

 これによると地上の世界を知りたいと思った月が人間に化けて空から降りてきたとき、ジャガーに襲われかけたところを助けてくれて、なけなしの食べ物を分けてくれた農夫にお礼としてマテチャノキを贈るというものです。

 また別のバージョンでは、「ジャシー」(月)と「アライー」(雲)が若い娘たちの姿をとって地上に降りてきたときに、やはりジャガーから助けてくれた猟師への恩返しとしてマテチャノキを贈り、その使い方を夢で教えたというものもあります。

 そしてこの農夫なり猟師には妻と娘がいるのですが、その娘がマテチャノキの守護神として永遠の命を得たともいわれます。ガレアーノの作品からむすびの部分を紹介します。

娘はマテ茶の主となって、世界中の人びとにマテ茶を与えて歩いた。マテ茶は眠っている者を起こし、怠け者を治し、見知らぬ者同士を仲間にした。

   パラグアイやアルゼンチンのマテ茶産地であるミシオネス、コリエンテスの両州には、マテ茶葉を収穫する労働者のあいだで、カジャリ( Caá Yarí)と呼ばれるマテの木の精がいて、ときに美しい女性の姿になって現れ、彼女に忠誠を誓い試練を乗り越えると収穫を手伝ってくれるという伝説があります。ただし、誓いを破ってほかの女性と関係を持つと女神が怒り死をもたらすといわれており、マテ茶葉を運ぶ労働者が突然の事故で亡くなったりすると「カジャリの呪い」と言われたりするそうです。

  イエズス会士が来るまでは、このグアラニの女神カジャリの力の及ぶ範囲はマテ茶よりもっと広範にわたっていたとも言われます*3。そして、初めに紹介した伝説の娘が同じカジャリという名前のこともあります*4が、月がもたらしたマテ茶という話がもっとも広く知られているようです。

 

動画は「森は私たちの命の一部」と語るグアラニの女性が登場するビデオ。美味しそうにマテ茶を飲んでいます。

[http://

Spot "Derecho al monte" from lrtvcooperativa on Vimeo.

]

 

*1:大久保光夫訳 1997年 藤原書店

*2:Eduardo Galeano "Mitos de Memoria del fuego" 2005 Grupo Anaya 『Memoria del fuego (火の記憶)』はみすず書房より邦訳がある。

*3:Adolfo Colombres "Seres mitológicos argentinos" 2000. Emecé

*4:別にカジャリから始まる伝説もある

ハキダメギク、コゴメギク、またの名をグアスカ

ハキダメギク Galinsoga quadriradiata キク科コゴメギク属 帰化植物 

コゴメギク Galinsoga parviflora キク科コゴメギク属 帰化植物

 まぎらわしいふたつの植物

 2017年発行の新分類牧野植物図鑑を見ていたら面白いことがわかりました。ハキダメギクの図は載っていないのです… そのかわりコゴメギクという植物の図が載っており、旧版でハキダメギクの図として掲載されたが、これは誤りである。と追記されていました。図鑑を作るほどのプロでも見分けにくいもの、素人にはなおさらです。(予防線)もちろん見分け方は書かれていて、コゴメギクにくらべハキダメギクの方が葉の鋸歯が荒く、舌状花の鱗片がより多く大きいそうです。もう少し専門的なことは、こちらの農研機構のサイト畜産草地研究所:写真で見る外来雑草:コゴメギク | 農研機構 (affrc.go.jp)を参照なさってください。

 

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 これはハキダメギクか?

 牧野博士の著書で調べてみると

 昭和31年刊の牧野富太郎博士の『植物一家言』には次のように書かれています。

 

コゴメギク

コゴメギクは、小米菊の意で、その花白色で、小形なるゆえに、こう呼ばれる。一にハキダメギクと呼ばれるが、それはよく塵あくたを棄てる、掃き溜の辺に生えるからである。この草は、一の帰化雑草で、それは、北米の原産であってGarinsoga parviflora Cavanilles(この種名は小形花の意)の学名を有する。その無舌状弁の頭状花は、きわめて小さくて、見るに足らないものである。

 

 しばしばハキダメギクの名付け親は牧野博士と紹介されるのですが、もしそうだとすると「一に~と呼ばれるが」と書かれているのはちょっとふしぎな気がいたします。また、上記の書では、牧野博士はむしろコゴメギクを和名として採用しているように見えるにもかかわらず、文中のハキダメギクのほうが有名になったのは皮肉です。しかし、もし「ハキダメギク」というインパクトの大きい名前でなかったら、ここまで人々の印象に残らなかったかもしれません。

 原産地については、ハキダメギク/コゴメギクは、図鑑により北米とするものと熱帯アメリカ原産とするものがあるようです。いまでは北米、アジア、アフリカ、英国を含むヨーロッパなど世界中に広まり、日本でも全土で見られます。*1*2 日本では雑草扱いのこの草、南米ではどのように用いられているのだろうと調べてみたところ面白いことがわかりました。

コロンビアのハーブ?  

 調査の結果、コゴメギク、ハキダメギクは、コロンビアでGuascaと呼ばれていて、ボゴタ地方のスープ、アヒアコで使われるということがわかりました。*3 日本語のレシピなどでは省略されていますが、アヒアコの風味付けに欠かせないもので、代替医療でも注目されているハーブのようです*4 カルシウム、カリウム、リン、亜鉛マグネシウムが豊富で、抗酸化力にも優れているという話です。私がいまフランス語を習っている先生のパートナー(コロンビア人)によると、お茶にして風邪のときに飲むと良いとか。(使用に際しては詳しい方と相談の上、行ってください。)

 

アヒアコの作り方の動画 


Ajiaco Santafereño o Ajiaco Bogotano

1分ごろにネギとグアスカ、コリアンダーブーケガルニを作って鍋の水に投入しています。また最後にきれいに洗ったグアスカの葉を入れています。

 

愛することは、識り、わきまえること

 この記事を書いているとき、恩師が亡くなったことを知りました。スペイン、ラテンアメリカの音楽を独学で研究し、日本に紹介したパイオニアのおひとりである濱田滋郎先生です。先生のご著書に、こうありました。

 ややこしいフォルクローレの形式名を省いて紹介しようというレコード会社の提案に対して、

音楽をやたら”学問化”せず、素直に聞いて楽しみ味わうものにしたい、という趣旨から出た言葉ならそれも結構。だが、「形式」の実体をつかみ、それを吟味することなしにフォルクローレを愛好する人が、世の中に、はたして多いのだろうか? セミ取りの子供だって、五つか六つ位のセミの種類とその名前は知っている。そして、手にしたアブラゼミやヒグラシやミンミンヤツクツクボウシから、それぞれ固有の情感を嗅ぎとるのだ(中略)チャカレーラとサンバの区別もつかずーこれは、その形式名を知らない、ということと同じではないー、漫然とフォルクローレを”楽しむ”人なら、べつに増えてほしいと私は思わない。やはりたくさんの「形式」をもつカンテ・フラメンコだって同じこと。愛することは、識り、わきまえることだ。こうした種類の「愛」なしに、ものを書き、語ってみたとてどうしようもない。*5 太字部分は原典では傍点

  と、ふだん穏やかな先生がきっぱりとした調子で書かれています。雑草と呼ばれる植物にも愛情をそそいだ牧野博士と、名もない人たちのはぐくんだ音楽を愛し、一生をささげた濱田滋郎先生の姿が私には重なります。これからも下を向いて草を見つけながら歩いていこうと思うのでした。

 

 

 

カタバミの世界

  ムラサキカタバミ Oxalis corymbosa アメリカス原産帰化植物 カタバミ科カタバミ

 

 ムラサキカタバミを知っていますか?

 薄いピンクの綺麗な花をつけるムラサキカタバミ。子どもの頃その茎を口に含んでみたことがあるのですが、ちょっとすっぱい味がしました*1。昔はわりとよく見かけていたのですが、最近あまり見なくなったような気がします。そのかわり、もっと濃いピンクのよく似た花(イモカタバミ)や、園芸種だとおもうのですが、黄色い花を咲かせる大きなカタバミをよく見ます。店頭ではオキザリスと呼ばれています。

 

f:id:rosita:20210309195609j:plainムラサキカタバミの花と、写真左のハートを逆さにした葉が三つついているのがムラサキカタバミの葉。

 

 ムラサキカタバミ帰化植物

 海外から来たカタバミオキザリス)には、大きくわけてアフリカ原産のものと南アメリカ原産のものとあるようです。このムラサキカタバミは中央アメリカからガイアナパラグアイが原産と考えられています。日本には江戸時代に園芸植物として入ってきたものが、鉢や庭から逃げ出して野生化しました。このように、人の手で栽培されていた有用植物が逸出したものを逸出帰化植物と呼ぶそうです。

    昨年の秋ですが、365日野草生活®のんさんの野草観察会で、江東区の「帰化植物見本園」に行ってきました。都立木場公園のなかにあり、帰化植物だけを集めたとても珍しい植物園です。なぜここに帰化植物園が作られたかというと、青海コンテナふ頭*2を擁する江東区の雑草の80%が帰化植物*3だからなのです。平成4年に設置され、江東植物愛好会*4のボランティアの方たちが中心になって運営されています。敷地は約500平方メートルで、世界中からやってきた植物たちを見ることができます(もちろん特定外来生物に指定されたものは栽培されていない)。

 こちらの見本園でいただいたガイドブックによると、帰化植物には、上の逸出帰化植物のほかに、自然帰化植物、仮生(住)帰化植物、予備帰化植物、史前帰化植物があるとか。例をあげると、ヒガンバナやフジバカマなどは史前帰化植物シロツメクサは牧草として輸入されたものが広まった逸出帰化植物に当たります。意外なものが帰化植物だったりするので、一度足を運んでみられると面白いと思います。

 

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 ムラサキカタバミとよく混同されるのが、やはり南米から来たイモカタバミ(Oxalis rubra)です。(上の写真)やってきたのはムラサキカタバミより後、第二次大戦後だそうです。花の大きさはほぼ同じ。色がこちらのほうが少し濃いのと、中心にある葯の色が異なります。こちらも帰化植物ですが、1972年発行の『日本帰化植物図鑑』によると、「鱗茎をまき散らしやたらに殖える」ムラサキカタバミに比べ、こちらは「害草化する心配がない」とのこと。*5 そう、法的にはムラサキカタバミ要注意外来生物なのです。*6

 アメリカスのカタバミ

 インターネットで検索すると、ムラサキカタバミもイモカタバミも、同じカタバミの仲間でアンデス地方で食用にされているオカ(Oxalis tuberosa)にちなんで、オカの花、またはピンク・オカ、オキザリス、葉の形からあやまってクローバーなどと呼ばれているようです。ocaはケチュア語起源。

 ところで、私がこのブログを書く上で参考にしている本の一冊から、アメリカスでのカタバミの花の様子を描いたものをご紹介します。早い時期から日本語に訳され、アルゼンチンのパンパの自然を伝えてきた博物学者ウィリアム・ヘンリー・ハドソン(1842-1922)*7の一冊にあるマカチナ[邦訳]というカタバミについてのとても美しい記述です。

 

 マカチナは、この土地で咲く最初の野の花でしたから、英国の子供たちにとってのノイチゴやカキドオシや、クサノオウや、そのほか春の初めの花と同じほどに、私たち子供には、すばらしい魅力でした。[中略ー子供たちがおやつにした甘い球茎についての描写がつづく] 私たちは我がちに食卓用のナイフで球茎を掘りだしていましたが、いくら幼い子供でも、味だけではなく、その美しさゆえに、ものをいつくしむこともできるのです。マカチナは、花も葉も、形がコミヤマカタバミに似ていましたが、羊が草を短く食い切ったような場所に、一番よく繁茂するものですから、葉は、ずっと小さく、地面に接近して生え、英国の白亜の丘の芝生そっくりな、滑らかな草地を作っていました。花は、ウマノアシガタのように、一面に金色の波を打たせて、かたまっては咲かず、二三インチずつ離れて、芝生の上二インチのあたりに、ほっそりした茎が、それぞれに一つずつ、花をつけているのでした。茎は非常にかぼそいので、ため息のような風にも、花をなよなよと揺らめかせ、その折の光景は、えも言われず美しいものでした。そのながめに見とれて、幾度私は、とある緑地のただ中に、身動きもせず立ちつくしたことでしょう。私を取りまく周囲こそ、数百ヤードというものは、一面、緑の草のしとね、微風にそよぐ幾千もの、小さな、黄色い花の数知れぬきらめきでした。*8

 

 子ども時代をパンパですごしたハドソンの目に映った夢のような風景。このマカチナは(原文ではmachines。単数形は macachín)は、調べてみると日本ではベニカタバミ(Oxalis brasiliensis)と呼んでいる帰化植物でした。

 このほかにも、チリ、アルゼンチンの先住民族マプチェの人たちが食用または薬用にするCulle amarillo, Cuyi-Cuyi,Vinagilloなどと呼ばれる黄色い花をつけるカタバミ(Oxalis valdiviensis)((Vinagrillo - Arca del Gusto - Slow Food Foundation (fondazioneslowfood.com)))などがあります。このカタバミの話もまだまだ終わりにはならなさそうですが、ひとまず今日はここまでに。

 

 
 

*1:食べることはできますが、シュウ酸が多いのでとりすぎないようにとのこと。詳しく書かれている農研機構のページ カタバミ (affrc.go.jp)

*2:世界につながる東京港 (tptc.co.jp)

*3:公益財団法人東京都公園協会編「木場公園帰化植物見本園 帰化植物ガイドブック」2016年

*4:1982年創設。江東区南部の埋立地の野草観察を月1回行ってきた。1993年頃から臨海副都心の開発が始まり、観察地を都心や近郊の公園、緑地に変えて続けている

*5:長田武正著、北隆館

*6:国立環境研究所 侵入生物データベース侵入生物データベース ―外来種/移入種/帰化動植物情報のポータルサイト― (nies.go.jp)

*7:アルゼンチンに生まれ、のちに英国に帰化。『ラ・プラタの博物学者』などの著作などで知られている。

*8:ハドソン著、寿岳しづ訳『はるかな国とおい昔』一九九八 第1刷は一九三七、岩波書店

マテチャ(1) yerba mate/ caá 牧野先生、お言葉ですが!

 

 

Ilex paraguariensis モチノキ科モチノキ属

 「日本の植物学の父」とも呼ばれる牧野富太郎(1862-1957)先生のご著書『植物一家言ー草と木は天の恵みー』にこんな一節がありました。銀座のデパートで「マテ茶の平扁な四角に固めた製品」を「試しに買い求めてきて飲んでみたが、至ってまずかったことを、今もって覚えている」「日本には、紅茶があり、緑茶があり、コーヒーがあるので、もはや、その味のまずい、マテ茶は入用はない。」*1 その後の先生のご意見はわかりませんが、現在みられる牧野植物図鑑によると「煎じると快い芳香と軽い苦みがあり」とあるので、とりあえず第一印象は上記のようだったということです。また、当時日本に入ってきていた茶葉がどのようなものだったかも不明です。

名前の由来

   マテ茶の原産地はパラグアイあたりなので、学名にもそれを連想させる単語がついていますし、「パラグアイチャ」という和名もあるよう。スペイン語ではマテ茶葉を"yerba"といいますが、これはスペイン語の"hierba"(ハーブまたは「草」に該当)がもとになっており、アメリカスにやってきたスペイン人たちがグアラニの人たちが使用していたマテの葉を見て勘違いしたところに始まります。この木は大きくなると8メートル程度にもなるのですが、現在は葉の収穫のために背の低いものに"改良"されています。グアラニ語ではcaáまたは kaáと呼ぶそうです。ちなみに"マテ mate"という単語は、ケチュア語でひょうたんの意味で、昔はマテ茶をひょうたんの器で飲んでいたことから来ているようです。(ひょうたんを乾かして下半分を容器にする)マテを飲む、というときは"tomar mate"のようにつかいます。マテ茶にまつわるグアラニ人の神話なども、いずれご紹介できればと思います。

製法と飲み方 

 マテ茶の製法には、茶葉に熱を加えて乾燥させたのち熟成させたグリーンマテ茶と、グリーンマテ茶をさらに焙煎したローストタイプがあります。地域によって好まれるタイプは異なります。くわしくは日本マテ茶協会のページをどうぞ。

 飲み方にはいろいろあるのですが、ホットの場合には容器(最近は素材はさまざまでシリコン製もある)に直接細かく砕いた茶葉(茎あり、なしタイプがある)をいれて、そこに先端に茶こしのついた金属製のボンビージャ(ストロー)をさし、お湯をついで飲むという方法がひとつ。チェ・ゲバラの写真や、懐かしいアニメ「母をたずねて三千里」にも登場しています。ひとりで飲むこともあれば、仲間と回し飲みすることもあります。(コロナ禍のいまはいけませんが。)もうひとつは、ローストタイプの葉をポットに入れたり、ティーバッグにして湯を注いで飲むやり方(コシード)です。

 また、暑い時期には、水出しで作ることがあり、これを「テレレ Tereré」と呼び、昨年世界無形文化遺産に指定されました*2 テレレにはかんきつ系の果汁などを加えたりします。ホットもアイスもミントなどのハーブ類を加えることがあります。

     

 

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マテ茶の器は京都でこねたもの。茶葉はアルゼンチン産のグリーンマテ茶。

香りづけに干しみかんの皮。

 アルゼンチンやウルグアイでは、街ゆく人がマテ茶セット(魔法瓶とマテ容器、ボンビージャ。おそらくバッグの中には茶葉と、場合により砂糖)を抱えている姿が見られたり、ドライブインなどでポット用のお湯のサービスがあります。パラグアイに滞在した方の話を聞くと、こちらもほぼ一日中どこでも、という感じのようです。ブラジルでは「清涼飲料水を除けば、コーヒーに次いで国民が嗜好する飲物」*3で、レストランなどでも出されることがあるそうです(同)。

栽培の歴史

 マテ茶は、はじめはグアラニ人が山で自生したものを利用していました。一時は、今のアルゼンチン北東部やブラジル南部、パラグアイに、かつてイエズス会が建設した伝道所*4で栽培されたこともあります。イエズス会はメキシコでカカオ農園も経営していたようなので、産業化を目指していたのかもしれません。しかし18世紀後半、イエズス会ラテンアメリカから追放された際、この伝道所は放棄されてしまいました。

 現在はブラジル、アルゼンチン、パラグアイが主なマテ茶葉の産地です。19世紀後半のパラグアイ対ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの3国の戦争で、パラグアイの領土は分割されてしまいました。アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの三国の国境付近は、このときに線引きが変わりました。その後、アルゼンチンでは、カルロス・タイスーハカランダの項をご覧くださいーによる栽培技術の研究の成果もあって、*5 今のような一大産地になりました*6。最近では、単一栽培ではなく、家畜に雑草を食べさせたりする循環型農業をめざす農家や、農薬を使わない有機マテ茶を作ろうとする生産者もでてきています。こちらの記事*7によると、農薬をつかわないマテ茶葉には甘みがあり、砂糖を入れなくても甘みがあるそうです。

おわりに

 食物繊維やミネラルが豊富で抗酸化作用があり、飲めば眠気や空腹もやわらぐマテ茶は、天然のエナジードリンク。写真のように茶葉の多い方法で飲むと、試験前夜の一夜漬けにはいいかもしれませんが、安眠は保証いたしません。ご注意あれ

 ※マテ茶は最近はオンライン、店頭で販売もされています。飲み方、効能と副作用などについては、ご自分でよく確認のうえご利用いただければと思います。

 国立マテ茶葉研究所公式サイト(アルゼンチン) INYM - Instituto Nacional de la Yerba Mate

 日本マテ茶協会 INYM - Instituto Nacional de la Yerba Mate

 

*1:小山鐵夫監修、脚注水島うらら、2000年 北隆館 原著は昭和30[1955]年

*2:El Tereré es Patrimonio Cultural de la Humanidad (unesco.org)

*3:森幸一「マテ茶」『食文化誌 vesta No.99』(2015)

*4:キリスト教の伝道を目的に先住民を住まわせ、農業やその他のヨーロッパ由来の技術の手ほどきも行った。現在では遺跡が世界遺産に指定されている。Jesuit Missions of the Guaranis: San Ignacio Mini, Santa Ana, Nuestra Señora de Loreto and Santa Maria Mayor (Argentina), Ruins of Sao Miguel das Missoes (Brazil) - UNESCO World Heritage Centre

*5:La industrialización gracias a Carlos Thays de la Yerba Mate en Argentina (arecotradicion.com)

*6:2019年のアルゼンチンでの生産量はFAOのデータによれば、およそ30万トン。栽培面積はおよそ17万ha。うちミシオネス州にほぼ9割、残りがコリエンテス州に存在

*7:Yerba Agroecológica: propiedades, beneficios y donde conseguirla | AG Noticias (altagracianoticias.com)

マルメロ Cydonia oblonga 今日はデザートのお話。

バラ科 マルメロ属

 初めにお断りしておくと、これはアメリカ原産の植物ではありません。1590年の記録によると、アメリカスでは、「(エスパニャ=スペインから移植され)すべての地方、およびヌエバエスパニャ*1で産し、半レアルで、五十個えらびどりだった」*2とのことです。

 もともとは西アジア原産で、日本方面に渡来したのは、寛永11年(1634年)。和名はポルトガル語"Marmelo"起源だとか。*3 果肉を砂糖で煮ると、どっしりとした羊羹のような菓子Dulce de membrillo(発音はドゥルセ・デ・メンブリージョ。「マルメロの菓子」の意味)になります。ドゥルセ・デ・メンブリージョ中南米の広い範囲で食されていて、薄く切ってチーズといっしょにデザートとして食べます。甘酸っぱさとクリーミーなチーズの味が合わさって、とても美味しいです。グアバやサツマイモも同じように食されます。

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▲盛り付けが下手でお恥ずかしいのですが、イメージをお伝えいたしたく。
 

 熊本にある加勢以多という和菓子は、もとはポルトガルより伝わったマルメロの菓子”caixa da Marmelada”[ caixaは「箱」の意味。弁当箱につめたような形だから?]すなわちドゥルセ・デ・メンブリージョを薄く切り、もち米でつくったウエハースのようなもので挟んだ菓子です。(現在はマルメロではなくカリンを使用しているそうです。)*4  

 マルメロとよく混同されるカリンは中国原産で、学名Pseudocydonia sinensis、バラ科カリン属に分類されます。カリンもマルメロも、愛らしい花が咲いて香りのよい黄色い実がなるのですが、別のものです。カリンはお酒やのど飴でおなじみですね。カリンとマルメロのちがい、見分け方について写真入りで説明されているサイト(日本語)はこちら

 ちなみに手元にあるアルゼンチンの料理本によれば、ドゥルセ・デ・メンブリージョを作る時は、マルメロの果肉(皮や種をとった重さ)1キロあたり3/4キロの砂糖を使うようにと書いてあります。皮や種を煮て、よりとろみのあるゼリー(jalea)を作るために使うこともできるのですが、このときも煮汁1リットルに対して3/4キロの砂糖を使うと書いてありました。*5 youtubeなどにもレシピ動画があがっていますが、どれも砂糖は果肉の重さの3/4~同量ぐらいの配合のようです。歯にしみる甘さを体感していただくにはいいかもしれません。

 

 


Dulce de Membrillo Tradicional.

 上の動画は砂糖が80%と言っています。煮え具合の指標がひとめでわかるのでおすすめ。生で皮をむいていますが、レシピによっては一度ゆでてから皮をむくものもありました。そのほうが手は疲れにくいかもしれません。このゆで汁をゼリー(jalea)に使うこともできるようです。マルメロがオーガニックのものだと安心ですね。

 

 

*1:1590年当時スペインが植民地として支配していた地域の総称だが、ここでは現在のメキシコを指している様子

*2:アコスタ、第4巻31章

*3:新分類牧野日本植物図鑑

*4:加勢以多 - お菓子の香梅 (kobai.jp)

*5:Elichondo, Margarita. La comida criolla: Memoria y recetas. Ediciones del sol. 1997