南米植物文化研究ノート

南米の植物にまつわるあれこれ。個人的な研究の記録です。

クダモノトケイソウ、またの名を

 

 

ラ・パシオナリア

 ドロレス・イバルリというスペインの女性政治家がいました。スペイン共産党の創立当初からのメンバーで、スペイン内戦後にソ連に亡命し、77年に帰国してからは国会議員も勤め、1989年に93歳で亡くなりました。彼女の筆名かつ代名詞がラ・パシオナリア。

 パシオン(pasión)は英語だと「パッション」、情熱という語義が一番に頭に浮かぶが、「受難」という意味もある。大文字で始めるときは、キリスト教創始者であるイエス・キリストが十字架にはりつけになったこと(殉教)を指す。

 


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 というわけで、ドロレス・イバルリの筆名も「受難者」「情熱の女」などと解釈されるのですが、パシオナリアはトケイソウの花をさす単語でもあります。

 トケイソウはつる性の多年草で、世界に500種類以上あるそうです。主な分布地域は中南米で、特にコロンビアには100種類以上が自生しているほか、北米にも数種、「東南アジア、オーストラリアなどのオセアニアに25種類の固有種が自生して」いるそうです。*1 トケイソウはなんといってもその花の形が独特です。

 

ふしぎな花

 この写真はうちのベランダで咲いたクダモノトケイソウの花です。立体的なめしべを時計の針に見立てたのが「時計草」という和名の由来。荒俣宏先生によると当時の時計(和時計)はいまのものと少しちがっていたそうです。

 

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 一番外側の花びらのようなものは5枚ががく片で5枚が花弁です。交互に見えている外側ががく片。糸のように見えているのは副花冠、葯のうえに5本のおしべと子房、3本のめしべという立体的な構造になっています。おしべは下向きなので、めしべに花粉が着くには何かの媒介が必要。ブラジルでは、セイヨウオオマルハナバチー現地ではママンガーバと呼ばれるーが受粉してくれるそう。*2

 この植物には、よくみると葉の付け根などに蜜を分泌する花外蜜腺があり、虫を引き寄せます。葉の付け根などに透明なつゆが小さくついているのを観察できることがあります。カメムシ、アリ、ハエ、ハチなども寄ってくるので、虫の苦手な方は植えないほうがいいかも?

 

またの名をパッションフルーツ

 

 実はこの植物、最近ではもう一つの名前「パッションフルーツ」のほうで知られています。お菓子やジュースなどで見かけることが増えていますよね。日本国内でも生産者が増えてきていて、スーパーでもたまに生の果実を見かけます。

 アメリカ大陸にやってきた宣教師が、立体的な花の姿をキリストがはりつけにされた十字架に見立てたところから「受難の花 flor de Pasión」と名付けたというのが定説ですが、イエズス会士で博物学者のアコスタは1590年の著書の中でこんなふうに書いています。

 

[この植物は]主の受難のしるしを持ち、釘、柱、笞、いばらの冠、傷などがあらわされているといわれるのだ。たしかにぜんぜん無根拠ではないと考えられるが、それらのものを認めるためには、その姿を思い浮かばせてくれるような、ある敬虔な気持ちが必要である。(増田義郎訳)

 

 

 コロン(スペイン語読みでは。日本では「コロンブス」)のインディアス航海の旅に出るまでの苦労については、子ども向けの伝記などでも有名です。最終的にコロンはスペインのカトリック両王の支援を受けて4度の航海を実現するのですが、2度目からは植民地化事業のための航海だったといわれています。アメリカ(コロンはインディアス=インドと信じていたらしいけれど)大陸の征服は剣と十字架によって行われたと言われていて、軍人(conquistadores コンキスタドーレス)とキリスト教カトリック)の宣教師たちが、先住民の世界を侵略し、鉱物資源(金銀)や労働力ーときには命もーを奪っていきます。この花をキリストの受難の光景と重ねたスペイン人宣教師の思惑はどのようなものだったのでしょう。

 ちなみに、アコスタ自身はいっかんしてこの植物を"granadilla"と呼んでいます。「受難の花」説を定着させた人物がわかったら、またここに付け足していこうと思います。

食べられるのは… 

 最初に世界に500種類以上のトケイソウがあると書きましたが、その実には食べられるものも、食べられないものもあるようです。世界中でもっとも食用にされている種類は、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン北部が原産のPassiflora edulis(edulisはラテン語で「食べられる」という意味)の園芸品種です。

 ほかに実を食べるものとしては、P. quadrangularis L.(オオミノトケイソウ) P.laurifolia L.(ミズレモン)、 P. mollissima Bailey(バナナパッションフルーツ)などがあるそうです*3が、日本でいまのところ栽培され流通しているのはP. edulisの園芸品種です。

 

f:id:rosita:20210829082820j:plain  完熟した実の断面。たねはぷちぷちした歯ごたえがあるが食べられる。


 上の写真のものは、紫クダモノトケイソウ(P. edulis Sims)と黄色クダモノトケイソウ(P. edulis f.)の交配種のようです*4スペイン語圏だと、先に書いたようにスペイン人たちが「小さなザクロ」(granadilla)と呼んだことに由来するグラナディージャ(リャ)と、先住民の言語起源と考えられるMaracuyá(マラクジャ)、Birucuyá, Mburucuyáなどなどがあります。

 南アメリカアンデスやアマゾンの写真を撮ってたくさんの著書も残しておられる故・高野潤のご本を読んでいたら、グラナディリャとマラク*5とを別のものとして記載されていたので、何か呼び分けるポイントがあるのかもしれません。

 なお、パッションフルーツは生食すると(甘)酸っぱいものですが、グラナディージャにはとても甘いものがあって、果皮は黄色からオレンジ色のP. ligularisに当たるそうです。*6 アコスタが上の文章のつづきに、その味は「甘い。甘すぎると感じる者もある(es dulce, y a algunos les parece demasiado dulce) 」と書いているグラナディージャは、どうやらこれのことを指しているのではないかと考えられます。

 今回はフルーツのほうについて書きましたが、花もとても人気があるようです。日本にも18世紀前半には耐寒性のあるブラジル、ペルー原産のカエルレア(P. caerulea)が持ち込まれていて、園芸好きの人たちを楽しませていたようです。米国には国際時計草協会という愛好者団体もあるとか。人生って自分次第でいくらでも楽しみを見つけ出せるものなのだなあ、と面白く感じました。

 

追記 パッションフルーツには食用だけでなく、他にもいろんな使い道があるようです。いつかまた続きを書くかもしれません。

 

www.passiflorasociety.org

 カラー版 - 新大陸が生んだ食物―トウモロコシ・ジャガイモ・トウガラシ (中公新書)

トケイソウ (NHK趣味の園芸 よくわかる栽培12か月)

 

コロンブス物語 (フォア文庫)

先住民の側の視点も取り入れたコロンブスの物語。

 

 

*1:山方政樹『NHK趣味の園芸 よくわかる栽培12か月 トケイソウ日本放送協会、2005年

*2:パッションフルーツの受粉!日本と原産国の違いからみた失敗と成功法 - SaintNature - セントネイチャー

*3:「(島田温史「パッションフルーツ (Passiflora edulis) に置け る高品質果実安定生産のための最適環境条件解明に関する研究」(鹿児島大学博士論文)2017年

*4:上記島田論文を参照

*5:高野潤『新大陸が生んだ食物』中公新書、2015年による。スペイン語ではlla,yaをそれぞれリャ、ジャ、ヤと発音することがあるため、高野さんの表記はそのまま使いました

*6:島田、2017年